Wednesday, November 17, 2010

冬になると恋しい音楽

冬になると思い出したように手にしたくなるものがあります。たとえば、向田邦子。毎年のように読み返しています。池波正太郎やエトセトラ。
冬になると聞きたくなる音楽もあります。そのうちのひとつ、ショーン・レノンのFriendly Fire。


新作もいい感じです。

Sunday, October 17, 2010

愛する肉体(と写真)

ラヴズ・ボディ(東京都写真美術館)という展覧会をみにいきました。
写真だけの展覧会はひさしぶりでしたが、思った以上にインパクトを受けました。
生と性と死というテーマは、写真ととても相性がいいと思います。なぜだろう。
たとえば、死にいく友人(愛人だった友人)のポートレイト。なんでもない場末の飲み屋の上の文字「BE SWEET」。若いポートレイト。それらはすべてエロスであり、タナトスを携えているように見える。
印刷物では決してない、プリントでしか表現できない味わいもたしかにある。
写真と言えば複製芸術の最たるものだったけれど、いまとなってはこれだけ撮影したりそれを披露したりする機会が増えたためか、かえってオリジナルプリントの美しさが映える。

(ラーメンをデジカメに(しかも一眼だったりする)撮ってから食べる人をわたしは信用しないけれど、それはまた別の話)

その複製可能性と一回性の間で、肉体と死のイメージが増幅されている感じを受け、とても感動しました。会期中、もう一度いくかも。

Monday, October 11, 2010

秋のイベントに参加してきました 高遠ブックフェス、秋も一箱古本市、そして信天翁。

秋のイベントに参加して、古本を売ってきましたよ。
ひとつ目は、高遠ブックフェスティバル
今回がはじめての参加だったのですが、ぎちぎちしておらず、スタッフも気持ちのいい人ばかりでとても楽しめました。
ブコウスキーの翻訳で知られる中川五郎さんのトークのお相手を務めました。
なんとかできたようで、一安心。
ほぼ一週間、町で何らかのイベントがあったのですが、個人的に一番秀逸だと思ったのが、「I love this book」という企画。お気に入りの本を持参すると透明な袋にそれをいれて町歩きをするとお店で特典がもらえるというもの。いろんな人が好きな本を透明バックにいれて町歩きをしているのはとても気持ちのいいものでした。そして、おお、こんな人がこんな本を、うむ、やっぱりこの本は売れているな、やや、これは・・・などと妄想が膨らむ楽しさ。文句なしに楽しめました。

もうひとつは、秋も一箱古本市
あいにくの雨でしたが、実行委員の石井中村コンビの愛と、箱をおかせてもらった古書信天翁(あほうどり)の店主ふたりの愛が感じられた一日でした。あ、僕への愛じゃなくて、イベントや本への愛、ですが。
特に古書信天翁は掘り出し物がやたらとあるいい古本屋。イベント用にかなり手をかけたみたいで、けっこう買ってしまいました。私の好きな海外文学、詩集、芸術が本といい品揃えで揃っている。丸善なんかの棚がやせているのと反対に、古本屋は肥えていると思うのだがなぁ。きっとすぐに目玉スポットになるでしょうが、まだ掘り出し物はいっぱいあるぜよ。
ブログで逐次紹介している。こんなのとか。
往年のオリーブ少女や文学青年、アート系学生にはたまらんのではないか。いろいろ買ったけど、帰りの常磐線では「魂のジュリエッタ」というフェリーニ唯一の小説を読んだ。

おつかれした!

※そして来週日曜(10月17日)にはニコマルシェに参加します!

Wednesday, August 11, 2010

毎日暑いですね

毎日ニホンは暑いよ、まるで世界の終わりみたいだ
と、ロンドンの友人にメールしたら、
神様はこんなもので俺たちを許してくれないよ、黙示録が明らかにしてくれるだろう
と返信が来た。
残暑お見舞い申し上げます。

Wednesday, July 28, 2010

foot


photo by m.

最近はぐしゃぐしゃと。まず、「これ読んでるよ」の更新をもっと簡単にしたいのだけど、これが一筋縄では行かなくて。うーん、と、うなり通し。トップページのリニューアルイメージはだいぶ固まって、あとは組んでいこう、というところ。ほか、肝心の本だけど、大量の買取(身の丈に合わなかったのかも)の整理がようやく終わり、自分の本にかかれそう。

めざすは、セレクトセカンドブックショップ。SSBS。という方向は再認識。

Monday, July 19, 2010

ネルソン・オルグレン

寺山修司を読んだことがある人なら、この人の名を知っているでしょう。もしくは、ルー・リードか。気になっているんですよね。でも、長編が多いので、まだ読み切っていません。こうしたタイプの小説があまり見かけなくなったなぁ。ところで、重版がかからなかったり、新訳がでないのは、本国の版権問題とかなのかなぁ、と思いました。
朝はもうこない、黄金の腕、シカゴ・シカゴなど。

Monday, July 12, 2010

気になる人 ヴァレリー

ずっと前から気になっている人。はじめてその名前を目にしたのは、坂口安吾のエッセイにでてきてて、それは小林秀雄の訳したテスト氏(いまでは「テスト氏との一夜」になっている)で、それを読んだ。そしてその一編は印象に残ったんだけど、そのほかにまでは踏み込まなかった。それがいつのまにか、ぽつりぽつりと増え、ヴァレリー詩集は重版され、評伝もでて、気がつけばぱらぱらとする。積極的に大好き!というのとは、少し違うんだけど、ずっと気になっている。
一編の詩はひとつの持続であってその持続の間、読者として、わたしは準備されてしまった一法則を呼吸する。
こんな言い方が気になる。

Thursday, July 8, 2010

ボルヘスのおかしさ

昔から、ボルヘスのことが気になっていて、かなり読んだり本を持っていたりするのだけれど、さっぱりわからない。ブロディーの報告書、という本があるのだけれど、彼の本はすべてそうで、つまり、報告書なのだと思う。小説や物語ではなく、なにかの報告書。ぼくは、物語や小説というものはいつかはなくなると思うけれど、報告書という形式は永遠だと思う。ちょっとうまくいえないな。物語や小説は、流体だけれど、報告書は硬質な、個体。うーん。ますますわからない。いちど読んでみれば、わかるのではないかな。

Sunday, May 30, 2010

鼓膜

左の耳の鼓膜を破ってから、幻聴が聞こえるようになった。おそらく、うまく聞こえないノイズを、脳がいままで聞こえた音と勝手に解釈し、無意識的に、しかし機能的に誤読をしているのだろう。変更したはずの携帯の呼び出し音がしたり、いないはずの人の声がしたり、それが自分の名前を呼ぶ声だったり、かと思うと意味をなさない合唱だったり。

Thursday, May 27, 2010

シルエット


i miss you.

Friday, May 21, 2010

superman


ぼくが考えたんじゃないんです。
こう書いて、っていわれたんです。4歳児に。
爆笑だったので記念撮影。

Tuesday, May 18, 2010

sakura



さくら、お兄ちゃんはなぁ・・・
photo by michi

Saturday, May 15, 2010

コナリーばかり読んでいた

さえない体調と、なれない仕事が波のようにやってきて、その中でうまく泳ぐことがなかなかできないでいます。
そんな毎日ですが、わたしはというと、マイクル・コナリーばかり読んでいました。新作「エコー・パーク」がでたので、読み切っていなかったハリー・ボッシュシリーズ前作「終結者たち」、そして前々作「天使と罪の街」を読んだのですが、これは2回目。ボッシュシリーズではない新しいシリーズ「リンカーン弁護士」も読み終わり、ようやく「エコー・パーク」にたどり着き、上巻を読み終えるところ。これは、コナリーを知らない人には何を書いているのかさっぱりわからないでしょう。でも、それでいいです。
いつものことで、マニアにはなりきれず、古本も電子書籍もツイッターもどうでもいい気によくなります。正直にいって。なんだか疲れるのです。だめだなぁ、と思います。
古本がどうでもいいと書きましたが、正確には、古本をめぐるひとやもの、それを語る人びと、語られたもの、がどうでもよくなるのです。わたし個人が好きな本はもちろんどうでもよくありません。どうやら、「〜をめぐるもの」、が苦手で、その類いの文章があふれている、もしくはリーチしやすい場所にある、ということかもしれません。
「〜をめぐるもの」はどうでもよく、「〜」そのものに興味があるのに、どうもそれらがごちゃごちゃになります。わかりやすくいうと、音楽がききたいのに、音楽雑誌を楽しめなくなってしまう、ということでしょうか。もちろん、調子がいい時は楽しめるのですが、とたんにどうでもよくなり、それは自分の集中できる力がおとろえているから、少しのものしか集中できなくなり、より本質的なものにしか興味がなくなる、ということなのでしょう。

古本販売は、継続しながらリニューアルをバックエンドでしています。
あと、コナリーの「エコー・パーク」はとても面白いです。



幻の冬の公園

Monday, April 19, 2010

4月は本ト忙しかった

一月は行く、二月は逃げる。三月は去る。四月は仕舞う・・・。


ラニ、また会いたいよ。

Thursday, April 8, 2010

さえずるカーテン


photo by michi

Monday, April 5, 2010

揺れる


photo by michi.

reach out to my days...

Tuesday, March 30, 2010

悪いのはみんな萩本欽一である

悪いのはみんな萩本欽一である、という話題のテレビ番組をみた。
いろいろ考えさせられたが、後半思いを強くしたのは、萩本欽一の影響を深度(レイヤー)としてとらえていない、ということ。
彼のような影響力の強い人のテレビメディアへの影響は、二次元ではとらえられないと思う。この部分では深く影響を与え、この部分では表層的に影響を与えた。表層的な部分は暴走し、深度の深いところの影響は根深く影響された。という分析が必要だと思う。
こうした番組は非常に貴重で重要だと思う。ので、より期待してしまう。でも、おそらく作り手の問題ではなく、メディアの特性として、難しいのだろう。

人は一面的にとらえることができない。なのに、テレビで取りあげるときには一面的になってしまう(ことが多い)。それはつまり一面的だということがイコールテレビ的なのだろう。
多層的な捉え方は書物などの方が向いているのではないか。たとえば、同じ「芸」を見せる落語。落語はそれこそ多面的な芸だと思うが、テレビだと一面的な伝え方しかしない。なので素人芸の方が(時には)強い。ドキュメンタリーもそう。
一面的であることがテレビ的であるということがよっくわかった番組だった。

最後に一番好きだったテレビ番組をみながつぶやく、という演出があった。ぼくの場合は・・・いままでで一番すきなテレビ、なんだろう。もしかしてないかも。タモリ倶楽部かな。

Monday, March 22, 2010

しかし、ナス買ってどうする あるいはネット通販

先日は、土浦ニコマルシェにまた参加してきました。はじまりはあいにくの雨もようでしたが、そのためいつもとは別のテントにはいることになり、はじめてはなしをした方もいて、個人的には楽しかったです。

出品していた本にナンシー関氏の「記憶スケッチアカデミー2」があり、店先で読んでは気味悪くぐふふと笑っていたのですが、さらに面白かったのが巻末特別収録の「赤パソコン青パソコン」。カタログハウスの通販生活に1996年から1997年にかけての連載です。そこでは、まったくのパソコン素人のナンシー関氏が四苦八苦して自分のホームページを立ち上げるまでが書かれています。というか、1996年なんてほとんどの人がパソコン素人なのですが。

96年11月号にはネットにはまっています。

「夜中になるとパソコンの前に座り、ネットサーフィン、つうんですか、それにいそしむ毎日であるが、インターネットは「つけもの天国」であることを発見。とにかく通販自体多いのだが、そのなかでも「つけもの」の充実ぶりはすごい。わたしは「はじめてのオンラインショッピング」として「水なすの浅漬け」を選んだ。まあ美味しかった。(略)しかし、ナス買ってどうする、メールもワープロ自体打てないからすごく時間がかかって電話の方が便利、というのはある。(略)」

という本文の横にはその水なすの箱の写真。そしてキャプションは「インターネットで買った漬け物。うまくもなしまずくもなし」

さすがです。大爆笑させていただきました。

わたしもそのころからネットの仕事をしていますが、だからどうなんだ、という気持ちはずうっと持っているんです。ネット通販。ネット中継、ブログ。だからなんなのよ。それらは副次的な要素であり、本質ではないです。海外とのメールも、エアメールすりゃいいじゃん。なんだかなぁ、ってずっと思っていました。

ネットで買ったから水なすがうまくなるでなし。肝に銘じたいと思います。

Thursday, March 18, 2010

モダンアートの体験

先日、いっこうさんと会った時、わたしたちが体験したモダンアートが、いまの日本からいかになくなっているか、という話しをしました。

発端は、例のヨゼフ・ボイスなのですが、先日の水戸芸の展示がとても久々で、それまであまりにも無視されていたのではないでしょうか。特にこの10年ほど。

さらに、最近海外から大型本を購入したのですが、ギルバート&ジョージ!昔から大好きなのですが、日本でみないですよねぇ。一時はよくみた、というか、わたしが影響を受けたくらいですから、それなりにメディアに載っていたと思うのです。

あとねぇ、ふと思い出したのが、キャシー・アッカー。すばらしい作家だと思うのですが、まったく顧みられていません。悲しい。

バロウズやウォーホルなど、評価の定まったものばかりではつまらないですけどね。幅が狭くなっている気はします。その傾向と対策はまた別の話しですが。

キアロスタミのDVDも気軽にみられないんだよなぁ。明日ホール!

Thursday, March 11, 2010

いざ最悪の方へ

この間、ラジオで天野祐吉氏が喋っていた。

「広告の原型は『評判』なんですよ。あそこのうなぎ屋がうまい、とか、あの店にはべっぴんがいる、とか。その評判を作為的につくるのが今までの広告産業だった。それが最近は昔の市井の人びとが評判をつくる状態に回帰している」うろ覚えだったので言葉はちがうと思いますが、大意はあっているはず。

昭和の前後80年ほどの間は、媒体のマスの力で評判をあげ、評判の大きさをかたちづくり、操作できた時代だったのか。なので広告産業という産業が成長したのだな。

いまの評判のかたちづくられ方は、昔の口伝えに回帰している。そして、それは健全な方向だと思う。評判をあげるためには何をするべきか?認知度(認知される人の母数の増大=アクセス数の増大/SEO対策とか)のアップ?いや、それは話しが逆だろう。

評判をあげるためには、うまいうなぎの蒲焼きをつくることにつきる。そのあとに評判はついてくる。人為的に評判をあげることがどんどん難しくなってきている。いいことだなぁ。

別の話し。

昔、京都の片隅の長岡天神駅にも、レコード屋が3軒あった。うち2軒は輸入盤なども扱っていた。(リトルフィートを買った覚えがある)貸しレコード屋も2軒あった。どれも家族経営で、八百屋や魚屋と同じ小さな小売店だった。かなり通った。いまは一軒しかない。あとは、国道沿いのツタヤ。本屋もおなじようになるんだろう。そう遠くないうちに。

タイトルはベケット。

Tuesday, March 9, 2010

Coal Fired Computers (300,000,000 Computers - 318,000 Black Lungs)



古い友人のグレアムとマツコさんの新しい作品を紹介します。週末ニューキャッスルへいかれる方はぜひ。

Graham Harwood, Matsuko Yokokoji (YoHa): in Collaboration with Jean Demars present:
Coal Fired Computers (300,000,000 Computers - 318,000 Black Lungs )
Where: AV Festival 10 - Discovery Museum, Newcastle
Date: 12 – 14 March 2010

http://yoha.co.uk/cfc/CFC-200.pdf

なぜ黒い肺があるのかはぜひPDFをみてください。いちど日本でグレアムの作品展をやるのが夢です。

Friday, March 5, 2010

アリス

女の一生 (モーパッサン)



あるところでいきなり変貌する。すごい。

Monday, March 1, 2010

ラジオいいですよ

家にはテレビがない。いつもはラジオを聴いています。
ローテーションがあって、海外のFMなどをネット経由でずっと流しているか(忙しいとき)、CDをかけっぱなしにしているか(忙しくないとき)、日本のAMなどをきいているか、です。車ではだいたいJ-waveです。家ではNHK以外FMが入りにくいのでまぁいろいろと。最近はNHKラジオ第一の土曜夕方の「地球ラジオ」がお気に入りです。

バンクーバーはほぼラジオでした。さすがアナウンサーの方がすばらしく、情緒あふれるテレビのアナウンスでもなく、情景が浮かぶような実況でした。
あと最近のお気に入りはTBSの大竹まことのゴールデンラジオ。そのあとの「たまなび」までよくきいています。大竹まことのゴールデンラジオはポッドキャストが大変充実していて、夜中ききながら作業したりしています。
ゲストがいいんですよね。1月19日ゲストの大江健三郎さんとか、2月3日の宮沢章夫さんとか、非常に面白いです。大竹さんのツッコミも。

海外ラジオでは
http://www.wnyc.org/
http://www.jazzfm.com/
とかです。

オチのない話でした。3月かあ。

Saturday, February 27, 2010

うまくはいえないかもしれないけれど

大江健三郎の本を品だししました。それで、その本の紹介に書こうと思ったんですが、ちょっと筋が違うと思い、ここに書きます。が、うまくいえないでしょうきっと。自信があります。困ったことに。

品だしをしたのは、1992年に講談社からでた「僕が本当に若かった頃」という短編集。わたしは大江健三郎はいつも興味がある作家ですが、すべてを読んでいるわけでも主要作すらあやしいものです。ただ、この本が出たときは大江健三郎の名前はまだまだ力があったと思うのですが、いまや、客観的にみて社会的な力は当時よりかなり少なくなってきています。そのことです。

最近「水死」という新刊がでました。「みずからわが涙をぬぐいたまう日」という昔の作品が重要になっているのですが、品切れ重版未定だそうです。同じ講談社なのに。

大江健三郎の作品が変容し、力がなくなっていったため、社会的な力もなくなり、端的にいえば人気作家ではなくなりつつあるのでしょうか。いや、違うでしょう。作品自体の力と社会的な力はここでは関係がないと思います。作品自体は力強く、クオリティも昔より上のはずです。しかし、社会的な力はなくなっていく。作品が社会と切り離されて評価されるのは、追悼特集でまともに取りあげられるのを待つしかないのでしょうか。

社会が変容していることは当たり前ですが・・・ほら、うまくいえない。そんな日もあります。社会的な、時間的な力ではなく、作品そのものの力をもっと見据える目を持ちたいです。

Tuesday, February 23, 2010

PORTISHEAD roseland nyc live

前回の記事は力が入りすぎていたしあまり面白くなかったのでもう少し力を抜いて。



何度となくきいている一枚。でて間もない頃、おそらく1999年、吉祥寺のアーケードの端っこにある中古CD屋さんで、このビデオがかかっていました。それまでポーティスヘッドの一音もきいたことがなかったのですが、なんというか、釘付けになってしまい、しばらくビデオをみていてから、店員のお姉さんにきいて教えてもらいました。それがこのCDです。おそらく初回特典でDVDがついていたのではないでしょうか。その後そのDVDは長らく発売されず、2002年にでたとき、ようやく手に入れました。それもくり返しよくききます。その後ポーティスヘッドはすべて買いましたが、やはりこのCDが突出していると思いますね。

ポーティスヘッドは1990年代に活躍したイギリスのブリストルのバンドです。このCDは1997年に、それまでに発表された2枚のアルバムをニューヨークフィルと共演したものです。
ボーカル、ベスの暗ーい声、エレクトロニックなバックグラウンド、ギター、そして弦楽奏。それらがこんなに一体になった音楽は聴いたことがありません。マッシヴアタックやトリッキーはロンドン滞在時に友達経由でよくきいていましたが、わたしはこれが一番好きかな。

今みたいな寒くも暑くもない夜中にはついきいてしまいます。

Monday, February 22, 2010

まつりのあと


羽鳥書店祭りのおもひで。

Saturday, February 13, 2010

オールタイムベストミュージック 「ビートでいこう」

なかなか風邪が完全にぬけなかったのですが、そろそろまたはじめていきますのでよろしくです。今日は音楽の話。

そのときどきに、聴く音楽はうつりかわるものですが、いつまでもきき続ける音楽があります。時系列に関係なく、ちょっと別格な音楽です。そんな音楽が、レコード(と呼びたい)が何枚もあります。それはちょっとうれしいこと。

The BEATNIKSというバンドがあります。高橋幸宏と鈴木慶一に、その時々でメンバーがはいったりします。いままで3枚のレコードを発表していますが、わたしにとっては2枚目にあたる「ビートでいこう EXITENTIALIST A GOGO」は、なぜか別格の一枚です。

1987年発売ですが、そのころのわたしはこのレコードを知りませんでした。はじめて聞いたのは、おそらく1992年ごろ、所属していた劇団の稽古場で、先輩がきいていたのを横できいたのでした。その先輩はとても尊敬できる先輩でしたので、そうか、こんな音楽が先輩は好きなんだ、と思いながらきいていたら、そのうち自分にとっても特別な一枚になってしまったのです。

もちろん「ライディーン」くらいは知っていましたが、YMOもムーンライダースもほとんど知りませんでした。かわりにケルアックやギンズバーグは知っていて、バンド名がはじめに気になりました。

一曲目「TOTAL RECALL」のイントロを聴いただけでざわざわっと鳥肌がたちます。そして一気にさびへ!とても美しい。二曲目の「ある晴れた日に」は詞が東京次男坊こと鈴木博文さん。ジェット機の音が美しくはかないです。初夏の日の弔い、は幸宏さんの歌詞。”君の言葉に少し疲れて”が秀逸です。たしかに、少し疲れたとき、ひとりになりたいときにきいているかも。the BANDのカバー、「STAGE FRIGHT」もすばらしい。

二人の声がとても調和されており、とてもいい相性なのでしょう。そして、それによりそうかのような演奏が、重ねられているのに透明感が増しているかのような気になります。全体的に澄んだ印象ですが、薄いわけではなく、クリアです。

なにがこの一枚をそんなに別格にしているのか、いま考えましたが、やはり二人の声と、そのサウンドでしょうか。

ラストはPROCOL HARUMのアルバム「A SALTY DOG」から、「Pilgrims Progress」のカバー。リフレインまでカバーしています。これがまた心地よい余韻をつくり、一連の時間があっという間に終わります。

廃盤ということですが、なんとかリマスタリングで再発してもらえないものでしょうか。ぼくのもっているのは1990年のものですが、リマスタリングでさらに音はよくなる気がします。

Monday, February 8, 2010

風邪


風邪ひいています。
寝込むのはひさびさです。

Wednesday, February 3, 2010

鬼はそと


mask create by michi.
鬼はソト 福はウチ 
ウチの鬼は豆を食べてる。

Thursday, January 28, 2010

iPadより紙の本がすぐれていると思う10の理由

なんだかなタイトルを付けてしまいましたが。

iPad、たしかに面白いと思います。美しいと思います。いまのメイン機はiMacですし、Snow Leopardですし、Mac Miniがサブ機です。でも、きっとiPadは買わないでしょう。なじぇか。

1. 紙の本の方が軽い
そらそうです。いくら薄くて軽いといっても、文庫本にはかないません。旅に出るのに文庫本が必須な私としては、iPad(680g)より、文庫本(350ページで180g)を選びます。

2. 書き込みができる
iPadのブックビューワーには手書きでメモをかけませんよね?線を引っぱったりもできない?読み返すときに困りますよ。

3. iPhoneの立場は?
iPadは電話の機能があるのでしょうか。おそらく、スカイプなどは使えるのでしょうが、電話機としてはやはりiPhoneに譲るでしょう。ということは、iPhoneユーザーは鞄の中にiPhoneとiPadを入れることになるんでしょうか。電話ができるとできないだけの理由で?iPhoneのビューワーの立場もありますし。

4. 本棚に並べることができる
これは個人の嗜好ですが、わたしは本を棚に並べるのが好きなんです。読んでなくても賢そうに見えたりしますし、だれでしたか、本は読まなくてもともに過ごす時間が大事なのだ、といった作家もいます。なので、わたしは本棚を愛します。たとえ妻から怒られようとも。

5. ブックデザイン
これもレコードがCDになったときに、かなりいわれました。いわく、大きなレコードジャケットの方がいいじゃないか、こったデザインができないじゃないか、と。一時期はすべて画一的なCDとプラケースになりましたが、時代はめぐり、いまでは紙ジャケやら重量盤LP(プラスMP3ダウンロード)やらがまたはやっていています。本も文庫本から四六判、雑誌サイズといろいろあるのが楽しいし、ブックデザインの楽しむ部分が(まったくなくなるとはいいませんが)少なくなるのは寂しいです。

6. 人との貸し借りができる
本を人に貸したり、借りたりすることはとても楽しいことです。それが好きな人との間ならさらに。それを赤外線のやり取りなんかで行いたくないです。好きな人の本を借りるのは、好きな人の触れた物を借りるというフェティッシュな感情もたしかにあると思いませんか。

7. アップデートが必要ない
おそらく、iPadはこれから頻繁にアップデートをくり返すでしょう。それによりできることも増えるでしょう。ですが、本にはアップデートは必要ありません。新訳がでたり、新装版がでるということはありますが、それはちょっと意味合いが違うと思います。古い訳でも古い装幀でも快適に読むことができます。

8. 検閲がない
これは、いま流通している本には抜け穴があることを意味しています。つまり、地下出版やリトルプレス、小さなマガジンなどをiPadで読むようにするには、iTunesがそうであるように、またiAppがそうであるように、アップルの(またはAmazonの、または政府の)承認が必要になるからです。公序良俗に反したり、輸出入にしばられないのが紙の本の特徴です。

9. 手ざわり
紙の本には紙の手ざわりがあります。当たり前です。つるつるの本からざらざらの紙まで、人間には触覚がだいじなのです。特に、音楽は昔から耳で楽しむものだったのに対し、本は常にみるだけではなく、人間の手で触られてきました。これは実は非常に大きなことではないかと思います。あのタッチスクリーンのつるつるした手ざわりが、すべての本に画一に適用されるのは考えられません。

10. 保存がきく
これが一番大事だと思います。なんだかんだいって、紙の本はけっこうぞんざいに扱っても、優に30年ほどはもちます。適正に、手厚く保存すれば100年以上でも大丈夫です。電子書籍はアップデートをくり返し、未来永劫、心地よく読み続けられるでしょうがアップデートしなければ読めなくなるでしょう。テキストデータだって危ういですよ。漢字の問題とかありましたよね。

以上、わたしがiPadを電子書籍としてみた場合、紙の方がすぐれていると思う理由です。番外編として、鼻がかめるとか尻がふけるとか充電がいらないとか、電子書籍だと古本屋が困る、というのもありますが(そうか、中古のiPadを売ればいいのか)。

iPadは、電子書籍リーダーというよりも、外出先でスマートに仕事のデータをやり取りしたり作成したり、サブのテレビ代わりに書斎においたり、ということはできるかもしれません。また、新聞のリーダーとしては利用可能だと思います。ですが、iPadでもKindleでも、やはり紙の本にはまだまだかなわないと思うのです。(新聞は日本では実売が出てしまうからヤバいかもですね。でも国外の日本人に届くのであればいいのかな)
それに、テレビをみたければテレビを見ればいいし、仕事は仕事机でやろうよ、というのが基本的なわたしの考えですから、やっぱりきっと買わないでしょう。

まだまだ、と書きました。いずれは、電子書籍になる日も遠くないと私も思います。でも、いまは時期尚早でしょう。と思うのです。

また、反対に考えれば、これらの条件が満たされた電子書籍があらわれたり、これらの条件が必要ない書籍、「そこまでこだわらなくても、読み捨てでいいんだよ」という本は電子書籍になるんでしょうね。また、いちどみんななるとも思います。米アマゾンでKindle本が好調なように。貴重本も出ているように。

でもいつか、きっと「紙のハードカバー本+ダウンロード版」という販売形態になるんじゃないかなぁ。

おお、こんな記事も。

Wednesday, January 27, 2010

殺人者の顔 ヘニング・マンケル著 おすすめエントリ

殺人者の顔
1991 スウェーデン MORDARE UTAN ANSIKTE ヘニング・マンケル Henning Mankell 創元推理文庫 423p

スウェーデンのベストセラー推理小説「クルト・ヴァランダー」もの第一作。

第2作目「白い雌ライオン」でもそうだったけど、社会背景をたくみに織り込むのはこの第一作からやっている。この場合はスウェーデン内の人種差別。それと亡命。舞台となっているのは南部スコーネ地方、ウスターレーンという辺鄙な地域の人口一万にも満たない田舎町、イースタ。主人公のクルト・ヴァランダーはそこの中年刑事。イースタは港町でバルト海に面している。バルト海の向うには旧東ドイツ、ポーランド、エストニア、リトアニア、ラトヴィアがあり、亡命者や経済難民がやってくる。この避難民問題が事件に影を落としている。

詳しくは本文庫解説に書いてあるが、スウェーデンの失業率は4%だが、移民だけでみると20%になっているのは知っておいた方がいい。とはいえ、「白い雌ライオン」が、南アフリカのアパルトヘイトと密接につながった物語であったほどには、こちらは亡命問題とからんではいない。いや、まあ確かにからんでいるのだけれど、それはあくまでも社会背景であり、クルト・ヴァランダー刑事本人は別の物語を生きている。

それは、かなりどうしようもない物語で、まず、妻からは三行半をつきつけられ、そのおかげで7キロ体重が増えた。19歳になるかわいい娘は理解できない年になり、知らない男と家を出て行った。父親はまだらボケがはじまっている。新しい検察官は若い女で、ときどきその女が裸で出てくる夢を見てしまう・・・

それでも事件を捜査しなければならない。そうとうしんどいと思うぞ。しかも、捜査は行き詰まってしまう。ぜんぜん方向違いの捜査をしていたのだ。事件はそのおかげで迷宮入りをしかけてしまうのだ。
事件や犯人よりも、その捜査過程よりも、なによりこの主人公クルト・ヴァランダーがひどく人間くさくて愛すべき男だ。それが一番印象に残る。酔っ払い 運転をして警官に見つかったり、レストランで未練たらたらではらはら涙を流したり、若い検察官に平手でなぐられたり・・・。

はー。

というぐらい大変な毎日を過ごしてる。
そして、その大変な毎日で何を彼は知るかというと「喪失」なのだな。

何度も、くり返し「喪失」について書かれた箇所が出てくる。喪失を認めたくない、変化を受けいれたくないという気持ちが彼をさらに大変にさせる。
しかし、最終的には受けいれる。喪失も、変化も。受けいれざるを得ないのだ。

そしてそのとき、クルト・ヴァランダーはやっと本当にすべてが終わったのだとわかった。離婚はもう取り消しが聞かない事実なの だ。夜、外でいっしょに食事をすることはこれからもあるだろう。だが、彼らの人生はもう二度と一つになることはないのだ。(略)こんなふうに取り残される ことを夢想だにしていなかった。これからは否応なしに孤独を引き受けさせられ、すべて自分で責任を取る新しい生活を始めなければならないのだろう。
我々はまるで楽園を失ったように悲しんでいる、と彼は思った。(略)しかし、古きよき時代は間違いなくもう終わったのだ。いや、待て。あの時代は本当によい時代だったのだろうか。我々がそう思い込んでいるだけではないのか。

谷口ジロー、関川夏央の「坊ちゃんとその時代」で、関川は坊ちゃんとは、明治という時代への喪失と惜別の物語だ、と解いた。この「殺人者の顔」も、同じだ。

変化と、喪失と、惜別と、愛惜の物語だ。そして、そこで僕は気がつく。個人ばかりではなく、社会も変化し、喪失していく。当たり前だ。そして受けいれがたい喪失や変化を受けいれるには、過渡期といわれる時間が(後から振り返れば)かならずある。この事件と捜査は彼個人の敗北の記録であり、社会の敗北と喪失の記録なのだろう。それは確かにシンクロして見える。社会的な過渡期とヴァランダー個人の過渡期の物語といえる。

そう彼はひとりごちた。おれ個人の敗北とは、事件の捜査としても、個人的な生活としても、また社会の敗北の記録でもある。そうした物語。なのにこんなにユーモラスで、力強いこの本は、そうとうオススメ。

スウェーデンではシリーズ全体で200万部売れたそうだ。人口が900万人しかいないのに、だよ!

Tuesday, January 26, 2010

Flavors.meをつかってみたよ

http://flavors.me/shiomizaka/

Flavors.meとは、new yorkのHiidef.incという会社(or team)がはじめたウェブサービスです。この会社は、はじめは靴の通販サイトなどをしていたそうですが、去年はじめたこのflavors.meが話題なのです。

現在、いろいろなサイトでいろいろなことをしている人が多いと思います。つまり、ブログしたり、twitterしたり、youtubeのチャンネルを持ったり、などなど。基本的にはそれらを統合したページを簡単につくることができるサービスです。
とかくと、けっこうフツーに思えるのですが、これがなかなか侮れない、いいサービスだと思います。

自分のページをつくるには(一般公開はまだしていませんので)、紹介コードをとる必要があります。
http://flavors.me/から、自分のメールアドレスをいれるとinvite codeがしばらくしておくられてきます。(ぼくは一日ほどできました)そのコードを受け取ったら、パスワードなどを設定して、いよいよ自分のページ作成ができます。

英語のページですが、設定はいたって簡単です。登録できるのはflicker、tumblr、twitter、vimeo(ビデオサービス)、last.fm、facebook、goodreads(読書サービス、これもなかなか面白い)、netflix(ビデオレンタル)、wordpress、posterous(写真共有)、Blogger、Linkedin、Etsy、foursquare、Youtube。しかも「RSS」というものもあり、ぼくのネットショップはcolor-me.shopなのですが、ここの最新入荷RSSも問題なく拾えました。

ページ全体のタイトル(たいていは個人名)、それらのサイトアドレス、またはRSSアドレスを入力していけば基本的なページ作成は終了。これだけでも非常に美しいサイトができます。メニュー名(Bloggerのブログタイトル名など)に日本語は通りませんでしたが、拾ってきたページ(RSS)の表示自体には日本語は問題ありませんでした。(mac osx/ snow leopard)

サイトのデザインはいく通りかのテンプレートから選ぶことができ、自分の任意のバックグラウンドを設定することも可能です。

こんな感じになりました。



タイトルのフォントがいろいろ選べるのはweb fontが上手に使ってあるからなのですね。(だから日本語が通らないのかも)

いろいろなウェブサービスがありますが、それらはすべて人の一側面を切り取ったものでしかないでしょう。当たり前です。ひとつのサービス(写真共有とか、文章とか)でしかないのですから。それらをひとつのページに統合することで、ひとりの人間(側面が統合された状態)に近づけることができる、面白いサービスだと思います。

また、当店のようにネットショップというところは、こういうサイトであるとか、新しい技術であるとか、ウェブでの見せ方などは、普通のお店でいうところの玄関のしつらえであったり、床にゴミが落ちてなかったり、という「気持ちよく買い物ができる空間づくり」になる部分であると思うのです。昔は「売っている中身がなんぼじゃい」と思っていましたが、自分が客であるときには気持ちよく買い物ができることも重要な店選びのファクターであるため、そうしたところもないがしろにしないでおこうと思っている次第です。と、大きな百貨店が閉店を決めた日に思ったのでした。(絶対揺り戻しがくると思うけど)

Monday, January 25, 2010

lightspeed championの新譜が発売!「LIFE IS SWEET! NICE TO MEET YOU!」



Lightspeed Championは、イギリスの若手音楽家。1985年生まれのDevonté Hynesのひとりユニットです。わたしは昔のこの人のバンド、TEST ICICLESというのはきいたことがないのですが、そのバンドをやめてひとりユニットのファーストアルバム「Falling off the Lavender Bridge」はでたときなぜか、すぐに買って、それこそ何日も何日も繰り返し聞きました。むちゃくちゃよかったです。iTunesでしか買えないライブとか、もろもろのシングルとか、買いそろえてしまいましたね。それが2008年。

ニューアルバムは、そろそろ出るんだろうなぁ、とサイトとかをみてはいたんですが、今日いきなりサイトをみたらそのお知らせがどーんとあって、しかもシングルのPVもしっかりみれて、うおお、これは!と予約しました。早速。Dominoレコード直販で、MP3付きのLP。

MP3付きのLPって、最近よくみます。この間のソニックユースもそうだったし、Beckもそうだった。とてもいい選択肢だと思います。それはさておき。

Lightspeed Championは、メロディもすてきなのですが、音響的にもすごいセンスだと思います。ほとんどいわれないし、だれも言及しないのが不思議でならないのですが、どのような音が鳴っているか、は音楽の重要な要素だと思うのです。友部正人さんに「友部さんの最近のCDは音響が独特で面白い」といったら、「そういうことを一番気にしないのがレコード会社かもね」といわれてしまいました。悲しい。それはさておき。今日は脱線が多いなぁ。

なんというか、ギターメインのポップで、絶望的なのだけど底抜けに明るい、そんな音楽をつくるLightspeed Championはイチオシです。とてもいい意味で若い!

今年はThe Booksの新譜も出るらしいし、ゴリラズはルーリード参加らしいし、うれしいです。

Thursday, January 21, 2010

Monday, January 18, 2010

ドン・ウィンズロウ 往来堂かってに協賛エントリ

千駄木の本やさん、往来堂でドン・ウィンズロウ・フェアが開催中です。
フリーペーパー「往来っ子新聞」第30号もでていて、今回から桐谷知未さんによる「ドン・ウィンズロウ×東江一紀の魅力」という連載がのっています。

ドン・ウィンズロウはぼくも大好きな作家です。「犬の力」がミステリランキングでかなりいいらしいですが、やはりニール・ケアリーにも触れてほしい。ということで、以前書いたドン・ウィンズロウのニール・ケアリーもののレビューを再掲載し、勝手に協賛させていただきます。

高く孤独な道を行け
ドン・ウィンズロウ 創元推理文庫

ニール・ケアリーもの第三作目。今のところこれが一番好きかも。これの訳が1999年(前世紀!)なので、第四作、第五作もはやく読みたいなぁ、と思った。今回は、ネヴァダのカルト教団にさらわれた赤ん坊をとり返しにいく話。高く孤独な(the High Lonely)とは、ネヴァダの高原地帯。

この作品は、今までの二作といくつか違う点がある。それはまず、三作通じての定型がはっきりしてきたところだ。書き出しも、終わりもおなじ。書き出しはそれぞれ

ストリート・キッズ
断じて、電話に出るべきじゃなかった(1ページ1行目)

仏陀の鏡への道
断じて、ドアをあけるべきではなかった(1ページ1行目)

高く孤独な道を行け
断じて、振り向くべきではなかった(1ページ1行目)

否定形ではじまる。まぁこれは一種のお遊びと考えていいだろう。
終わり方は、ストリート・キッズでは、ヨークシャーの荒野で一人残り、7ヶ月、仏陀の鏡への道では、中国大陸の山中で一人残り、4年ほど、高く孤独な道を行けでは、ネヴァダの片隅に一人居残る。
終わり方をみてみると、ストリート・キッズのはじめから一度もニールはNYに定住していない。つまり流浪の探偵という定型だ。彼は一箇所に定住しない。行く先々でそこに最後には定住してしまう。それで次作はそこに急を告げるシーンからはじまる。うまいなぁ。これで次のシリーズも大河の一部として、そこだけで印象付けることができる。こうした、意地悪な人がよくいう「小手先の」テクニックは案外うまくいくものだ。

また、やっぱりこの主人公がハードボイルドの探偵像を大きく逸脱する「小僧」であることも共通している。つまり、理論的に行動していないのだ。すべて感情に流されて行動する。ふつう、ハードボイルドでは自分の行動論理に一定の基準があり、それゆえいくら感情的に行動しているように見えてもそれは「自分という掟」という理論がまずたつものだろう。ところが、このニール坊やにはそうした行動論理がほとんどない。

それが、今までのぼくの不満だったのだけれど、今作ではそのあたりに「なるほど」と思わせる箇所がいくつかあって、
ニー ルの中には、いくつもの人格があるのです。(中略)しかし、ニール自身の人格はありません。うちの会で仕事を始めたころ、や つはほんの小僧っ子でした。同じ年ごろの子どもらが自分という人間を作りあげていく時期に、やつはでっち上げの話ばかりこしらえていました。カメレオンと 同じで、周りに合わせて自分の色を変えるんです(P.234)
探偵はうその塊なんだよ、カレン。自分の正体を隠すことにはじまり、かく して、かくして、他人になりすまし、ようやく元の自分に返ろうとしたときには、そ の自分が見つからなくなっている。大切にしまいこんだ小さな宝物みたいに、長い年月がたつと、しまった場所を忘れてしまうんだ。(P.288)
この少年探偵は、自分の行動規律をいま、まさに作っている最中なのか、それとも作ることのできない人間なんだ。それが、ほかの探偵ものと大きく違うところだろう。そのあたりは、フィクションのもたらすものとは何か、などと考えてしまった。

そうした読み方をしていたぼくは、次の箇所がぐっときた。
山よもぎの平原を、ニールの乗った青毛の馬が、雪を蹴散らし、冷気を切り裂いて、なめらかで鋭い漆黒のナイフのように走っていく。(中略)
死に物狂いの、恐怖心でいっぱいの、そして爽快感みなぎるレースだっ た。雪を踏み鳴らす蹄の音、馬の鼻息、ニール自身の鼓動、・・・すべてがリズムを刻み、すべてが溶け合っている。鼻腔を満たすかびくさい馬のにおい、一面 の山よもぎ、それを覆う雪。そして、冷気にあらがう馬の体熱、服の下で汗ばんた自分の肌、背中にしがみつく小さな体の湿ったぬくもり・・・ほら、ぼくは生 きている!(P.412 )
前二作と比べると、最後のアクションが手に汗握る率2割増し、「父さん」グレアムと、「上司」レヴァインたちとのチームタッグもみどころ。

ウォータースライドをのぼれ
1994 アメリカ A Long Walk Up the Water Slide ドン・ウィンズロウ Don Winslow 創元推理文庫 389p 

待望の、といっていいだろう。ドン・ウィンズロウのニール・ケアリーもの第四作。アメリカでは1994年に出版されている。10年まったのかよ!ぐぐ。

前作「高く孤独な道を行け」で、 生活面での孤独はついになくなったニールは、パートナーのカレンと暮らしている。平和な毎日に、またもや父親代わりのグレアムが仕事を持ってくる。人気テ レビ番組のホストにレイプされた、というスキャンダルの渦中の人物、ポリーをかくまい、ひどい英語を矯正する、というものだ。しかし、あっけなくポリーの 居場所は知れわたり、何人もの殺し屋だとか探偵だとかFBIだとかポルノ出版だとかギャングだとかがニールとポリー(とカレン)に襲いかかる。ようやくラ スベガスへと逃げ出すまでが第一部。つづく第二部ではラスベガスでもっと奇妙な追いかけっこが繰り広げられる。

著者が楽しんで書いているのがこちらにも伝わってくるようだ。ポリーの話す英語はむちゃくちゃで、訳文もそれをよく伝えている。
「あぬしと、あちしにはやさしかっち。ニューヨックにきっちゃん、あちしぬ部屋こもっち、しぽしぽ、しぽしぽ・・・」
という感じ。江戸弁と大阪弁と名古屋弁と、そのほかもろもろのちゃんぽんだ。

また、話の展開も楽しげで、爆笑ポイントがいくつかある。読んでいて声を出して笑ってしまったところもあった。女三人抱きって泣くところとか。

し かし、なんというか、笑ってばっかりなんだよなぁ。前のようにぐっと来るところが少ない。というか、ほとんどない。軽妙で、探偵が主人公で、この話、こ の先どうなるんだろう、という気持ちもあり、最後まで一気に読める。(一晩で読んだ)また、悪役は、クリントンをすぐさま連想させる(とはいえ、モニカ事 件の前にこれが書かれていたのは驚き)でも、ものたりない・・・。

ニールが孤独ではなくなっているから?パートナーがいて、仲間がいて、やるべき仕事があるから?それもあるかもしれない。けれども、やはり、作家の小説を書く姿勢の変化が見てとれるのだ。

けれど、ともう一度考える。姿勢は変化したんだろうか?つまり、もともとドン・ウィンズロウはこうした話を書きたかったんじゃないか?そこに孤独が描かれていたのは、それは小説を読みやすくする、または感情移入しやすくできるためのスパイスだったんだろう。

前作までがストリート・キッズ1991、仏陀の鏡への道1992、高く孤独な道を行け1993、 と一年ごとに書いていて、このウォータースライドをのぼれ は1994。そして一年おいて、シリーズ最終作While Drowing in the Desertは1996。自分の書くものが、ニールケアリーシリーズに合わなくなってきている、と感じていたのではないか。

この喜劇はとてもよくできていて、面白く読めたことは確かだ。そして、職業作家として一段上がっていることも確かだ。けれど、前作までの「孤独な」ニールにもう会えないのは、やっぱり少しだけさびしい。

でも、現実世界はそうして変わっていくものだけれど。

あー、あと、ラストのシーンはフロストシリーズ(どれだっけ)のラストをちょっと思い出しました。

土浦の朝市 ニコマルシェに参加してきました


先日の1月17日の日曜日、土浦市役所すぐそばのニコニコ珈琲さんにおいて開かれた、ニコ・マルシェにトリクシスブックスが参加してきました。当日は8時からということで、6時半頃家をでました。放射冷却で凍ったフロントガラスをワイパーで溶かしながら車をとばしました。

やっぱり対面販売はいいですねえ。いろいろとお話をしながらの店番が楽しかった。
「昔を思い出してまた読もうかしら」といってサガンを買っていった方。
「はじめて読むんですけど松本清張で一番のおすすめは?」といわれた方。
「ガープの世界が一番好きなの」とアーヴィング話でもりあがった方。
「面白そうな本ばかりですね」といっていただいだ方。ショップカードをおほめいただいた方。
あっという間の三時間でした。

はじめての参加でしたが日当りのいい暖かい場所にしていただき、感謝。
今回の参加にあたり快く許諾いただいた主催、ニコニコ珈琲さん、いろいろ応援してもらったダヴィットパンさん、そして立ち寄ったり買ったりしていただいたお客様みなさまに感謝します。39 baby!感謝for you! 

次回は2月21日だそうです。この次はモア・ベターをめざして。
※写真は品定めをする謎のコルシカ人(笑)

Friday, January 15, 2010

shine a light


shine a light / photo by michikazu

Thursday, January 14, 2010

ニコ・マルシェに参加します!1月17日、土浦ニコニコ珈琲にて!



土浦市役所近くのニコニコ珈琲さんは、自家焙煎珈琲のお店。(ブログサイト
そこで月一回開かれる、朝市にトリクシスブックスが参加します。
このような市にでるのははじめてでどきどきですが、
大好きだったパリの蚤の市を思い出して、いい本を出品しようと思います。
この機会を与えてくださったニコニコ珈琲さん
間に立ってもらったダビッドパンさんに感謝します。

午前8時から11時まで。
ダビッドも出店します。ほかにもフレンチ総菜などいろいろだそうです。

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追記
無事終了しました。次回は2月21日。また参加できそうです。
たくさんのお買い上げありがとうございました!

いやはや

家のものがインフルになったりあわせてこっちも調子が悪くなったりで更新できていませんでしたが、今夜あたりからまたがんがんいきます。
しかし、昔にくらべて踏んばりがきかなくなったなぁ・・。


photo by michikazu
title: mouse

Friday, January 8, 2010

新たな傑作 高野文子 しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん

今日、本屋さんでみつけて目を疑いました。
こどものとも年少版、2月号が、高野文子による「しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん」という絵本だったのです。
こどものとも年少版とは、福音館がだしている絵本で、基本的には毎月一回、定期購読のかたちでこどもたちに届けられる絵本です。ぼくの息子が通う保育園でも保育園経由で毎月おくられてきます。こどもは本当に楽しみにしています。こどもの年齢により年少版、年中向き、などがあります。
うちのこどもはもう4歳なので、年少版はとっていなかったのですが、たまたま家の近くで書店販売しているお店があり、そこで知りました。

高野文子の新作としては久々ではないでしょうか。しかも、こうして絵本のかたちとして出版されたものは記憶にないです。Wikipediaにものっていないし。
それがいきなりの新作絵本ですから、あっと驚いたのもむべなるかな。表紙がこれまた、一目見てわかる高野文子!

どきどきしながら読みはじめます。おはなしはひとりのおとこのこの心のつぶやきからはじまります。
「しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん あさまでよろしくおねがいします あれこれいろいろたのみます」こどもがねむる頃です。こどもはしきぶとんさんとかけぶとんさんとまくらさんにいろいろたのみます。
たとえば、しきぶとんさんに「どうぞわたしのおしっこが よなかにでたがりませんように」

この飛躍はすごい。だって、しきぶとんにお願いしてどうなることでもないじゃない!と、大人のあたまは考えるのですが、いえいえいえ。しきぶとんさんはこたえます。「まかせろ まかせろ おれに まかせろ」ええー、まかせていいの!
「もしも おまえの おしっこが よなかに さわぎそうに なったらば・・・」つづきは絵本でみてみてください。

このように、おとこのこはしきぶとんさんとかけぶとんさんとまくらさんに頼みごとをし、みんなそれに応えてくれます。それが、それぞれとてもユニークなやりとりなのです。

絵のすてきさ、その絵の配置と文字の配置はもちろんですが、全体をとおしてのリズムが一番すごいとうなりました。別にうならそうとしているのではないと思いますが、言い換えるのであれば、いま風邪で寝るしかないうちの子が、いちど読みおわるや否や「もういちど読んで」といい、それを五回もくり返したのです!そんなことはいままでなかった。どんなにお気に入りの本でも。それほど気に入ったのでしょう。

色もすごいすてきです。最小限の線と、明るい気持ちになるような色。はぁーとため息が出ます。

絶対安全剃刀を高校で読んでからのファンですが、これはまた新しいフェーズにはいったような気がします。あまり人のことを「神様」だとか「天才」だとかはいいたくないのですが、あえていいます。これはすばらしい傑作です。

また、絵本には小冊子「絵本の楽しみ」がついているのですが、そこにある「作者のことば」もすてきです。編集部だよりによると、5年前に依頼の手紙を書き、2年後に返事とラフがきて、それから3年かかっての出版だったようです。

新年のなによりのプレゼントになりました。絶対推奨絵本。

追伸:このようなすばらしい絵本を出版されて、福音館はやはりすごい出版社だと思いました。そして同時に「今月のご案内」をみて、「たくさんのふしぎ」最新号の案内がのっていて、この件はやはり残念だと思ったのでした。そのままだしてほしい。

Monday, January 4, 2010

クリスマスの思い出


photo by michikazu

Saturday, January 2, 2010

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いいたします。
笠間稲荷へ初詣に行きました。今年は前厄です。厄よけを買ってきました。厄よけ詩集をはなさず身につけようと思います。