Wednesday, January 27, 2010

殺人者の顔 ヘニング・マンケル著 おすすめエントリ

殺人者の顔
1991 スウェーデン MORDARE UTAN ANSIKTE ヘニング・マンケル Henning Mankell 創元推理文庫 423p

スウェーデンのベストセラー推理小説「クルト・ヴァランダー」もの第一作。

第2作目「白い雌ライオン」でもそうだったけど、社会背景をたくみに織り込むのはこの第一作からやっている。この場合はスウェーデン内の人種差別。それと亡命。舞台となっているのは南部スコーネ地方、ウスターレーンという辺鄙な地域の人口一万にも満たない田舎町、イースタ。主人公のクルト・ヴァランダーはそこの中年刑事。イースタは港町でバルト海に面している。バルト海の向うには旧東ドイツ、ポーランド、エストニア、リトアニア、ラトヴィアがあり、亡命者や経済難民がやってくる。この避難民問題が事件に影を落としている。

詳しくは本文庫解説に書いてあるが、スウェーデンの失業率は4%だが、移民だけでみると20%になっているのは知っておいた方がいい。とはいえ、「白い雌ライオン」が、南アフリカのアパルトヘイトと密接につながった物語であったほどには、こちらは亡命問題とからんではいない。いや、まあ確かにからんでいるのだけれど、それはあくまでも社会背景であり、クルト・ヴァランダー刑事本人は別の物語を生きている。

それは、かなりどうしようもない物語で、まず、妻からは三行半をつきつけられ、そのおかげで7キロ体重が増えた。19歳になるかわいい娘は理解できない年になり、知らない男と家を出て行った。父親はまだらボケがはじまっている。新しい検察官は若い女で、ときどきその女が裸で出てくる夢を見てしまう・・・

それでも事件を捜査しなければならない。そうとうしんどいと思うぞ。しかも、捜査は行き詰まってしまう。ぜんぜん方向違いの捜査をしていたのだ。事件はそのおかげで迷宮入りをしかけてしまうのだ。
事件や犯人よりも、その捜査過程よりも、なによりこの主人公クルト・ヴァランダーがひどく人間くさくて愛すべき男だ。それが一番印象に残る。酔っ払い 運転をして警官に見つかったり、レストランで未練たらたらではらはら涙を流したり、若い検察官に平手でなぐられたり・・・。

はー。

というぐらい大変な毎日を過ごしてる。
そして、その大変な毎日で何を彼は知るかというと「喪失」なのだな。

何度も、くり返し「喪失」について書かれた箇所が出てくる。喪失を認めたくない、変化を受けいれたくないという気持ちが彼をさらに大変にさせる。
しかし、最終的には受けいれる。喪失も、変化も。受けいれざるを得ないのだ。

そしてそのとき、クルト・ヴァランダーはやっと本当にすべてが終わったのだとわかった。離婚はもう取り消しが聞かない事実なの だ。夜、外でいっしょに食事をすることはこれからもあるだろう。だが、彼らの人生はもう二度と一つになることはないのだ。(略)こんなふうに取り残される ことを夢想だにしていなかった。これからは否応なしに孤独を引き受けさせられ、すべて自分で責任を取る新しい生活を始めなければならないのだろう。
我々はまるで楽園を失ったように悲しんでいる、と彼は思った。(略)しかし、古きよき時代は間違いなくもう終わったのだ。いや、待て。あの時代は本当によい時代だったのだろうか。我々がそう思い込んでいるだけではないのか。

谷口ジロー、関川夏央の「坊ちゃんとその時代」で、関川は坊ちゃんとは、明治という時代への喪失と惜別の物語だ、と解いた。この「殺人者の顔」も、同じだ。

変化と、喪失と、惜別と、愛惜の物語だ。そして、そこで僕は気がつく。個人ばかりではなく、社会も変化し、喪失していく。当たり前だ。そして受けいれがたい喪失や変化を受けいれるには、過渡期といわれる時間が(後から振り返れば)かならずある。この事件と捜査は彼個人の敗北の記録であり、社会の敗北と喪失の記録なのだろう。それは確かにシンクロして見える。社会的な過渡期とヴァランダー個人の過渡期の物語といえる。

そう彼はひとりごちた。おれ個人の敗北とは、事件の捜査としても、個人的な生活としても、また社会の敗北の記録でもある。そうした物語。なのにこんなにユーモラスで、力強いこの本は、そうとうオススメ。

スウェーデンではシリーズ全体で200万部売れたそうだ。人口が900万人しかいないのに、だよ!

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