遅くなったけれど、
ハヤカワミステリ12月号を読む。お、今月は翻訳ミステリ応援団があるぞ。この連載は翻訳ミステリ応援団員(勝手に)としてはかならずチェックしなくてはいけない座談会だ。北上次郎氏、田口俊樹氏をホストに、例えば翻訳家、例えば出版編集、例えば批評家などの現場の人を迎えて、翻訳ミステリが盛り上がるにはどうすればいいのか、を論じあっている。
というか、そこまで翻訳ミステリは今読まれていないのか、と毎回びっくりさせられ、愛する翻訳ミステリをどのようにすれば愛していられるか、考え込まざるを得ない。
今回は、出版営業の3方が登場。早川、東京創元、扶桑の3社。その中で、扶桑社と東京創元は既に翻訳ミステリを単行本ではだしていないという。そうだったのか。
かなり厳しいのだろうな、という現場の雰囲気が、対談の端々からわかる。考えて棚を書店に作ってもらっても、売れなければ即終了、とか、売れないからこなくていいよ、といわれたりとか、会社としてもミステリがだめならロマンスを売ればいいじゃない、といわれたとか。
いろいろと余裕がないのだろうな、と思う。以前の記事で書いた糸井重里の「クリエイティブを頼む余裕(
利益の中からクリエイティブに「おこぼれ」をまわす余裕がなくなってきた)」とかも同じことだと思う。翻訳でないミステリ、は、相対的にまだうれている、というだけで、まぁ、ほとんど売れていないのだろう。
往来堂新聞でも、「本」が売れずに、雑誌ばかり、と書いてあった。
世知辛い、というひとことに終息してしまうのだろうが、それだとますます自分の首を絞めてしまうことになるのは目に見えている。
一方で、一緒に買ってきた「atプラス 2号」の「21世紀の市民社会」を読んでいると、次の突破口はかならずある、と考える。
ほとんど共感を得られないかもしれないけれど、翻訳ミステリの復興には、新しい市民社会、20世紀型 資本主義との決別が不可欠だと思う。なんつって。全然息もつけずに残業まっしぐらでそれでも貧乏、というのではミステリなど、ましてや自分の国とは違う、よくも悪くも異国情緒あふれる翻訳ミステリを読む余裕などない、というのは当然だ。
社会が変われば、読まれる本も変わる。当然だが。流行る歌も変わるように。今、よくもわるくも社会や生活は変わりつつある。(日本の政治云々とかいうレベルではなく)ひとりひとり、変わろうと思えば変われる実例もちゃんとある。まきこまれて変わらざるを得なくなったわけですが。でもいい変化だと思うけどね。こうしたドラスティックな変化は人生一回ぐらいだろうなぁ。こうしたことがあるから面白い、とも思える。
おいしいごはんがあって、家族が健康に生活できて、友達と鍋を囲んで、ぶらりと古本屋に入り、ミステリの一つも読んでいられれば最高だよ。ひとつ、昔と違うのは、そのために、どのように働くか、までをかんがえて働かなくてはいけないのだということ。昭和は遠い。そう考えながら今日買ってきたソウルコレクターを読む夜更けよ。
翻訳ミステリ応援団、古本屋の回はないのかなぁ。あればぜひでたいが。無理か(笑)。